投稿

9月, 2025の投稿を表示しています

マタイによる福音書18章21-35節「憐みは裁きに打ち勝つ」

 2025年9月28日 牧師 武石晃正   4月から始まりました2025年度も今週でちょうど半分を主にお返しするところであります。2025年という年は日本の社会全体にとってもキリスト教会にとっても、ある側面において深い意味を持つ節目として認識されています。  いわゆる「2025年問題」と呼ばれる課題が社会の構造のうちに存在する一方で、多くの教会においても高齢化と少子化は会員の減少や担い手不足という状況の大きな一因となっております。このような時代背景の中で世代間の価値観のずれや過去の人間関係のしがらみなどを抱えつつも、「休ませてあげよう」(マタイ11:28)との主イエスに招きに対して教会という共同体は交わりの中で応えるものです。  「ひとつの聖なる公同の使徒的な教会」(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)はキリストの体として互いに支えあい、聖書の言葉に照らされては聖霊によってきよめられます。集う者たちが各々に思い煩いを抱えつつも「聖徒の交わり、罪の赦し」を信じつつ、本日はマタイによる福音書より「憐みは裁きに打ち勝つ」と題して導きを求めましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書18章10-20節「心を一つにして」

 2025年9月21日 担任教師 武石晃正  聖霊降臨節は今週で第16主日を数え、今年は10月19日の第20主日まであと1か月を残すばかり。キリストの昇天後に御父と御子が地上へ賜った聖霊は教会のいのちとして吹き込まれました。  かしらとしてキリストを仰ぐ「からだ」としての教会ですから、からだには部分や組織があるだけでなく体質というものもあります。体質とは英語でconstitutionという語が用いられますが、これは日本語では憲法や規則と訳されるものです。  キリストの体である教会とはどのようなものであるのか、ニカイア・コンスタンティノポリス信条は「ひとつの聖なる公同の使徒的な教会を信じます」(日本キリスト教協議会共同訳)と告白します。聖霊に導かれて歩む教会とはどのようなものであるのか、本日はマタイによる福音書を開き「心を一つにして」と題して求めてまいりましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書13章44-52節「天に属する者たち」

 2025年9月14日 牧師 武石晃正  毎月第2週の主日礼拝を米子教会ではCS合同礼拝としており、CSすなわち教会学校向けの聖書の話をしては子どもたちでも歌いやすい讃美歌をできるだけ選ぶようにしております。そして今月は敬老感謝礼拝が同じ週に重なりまして、本日は幼子たちから信仰の先輩方までがこぞって主日礼拝にささげることであります。  敬老感謝礼拝は単に長寿を祝うだけでなく、主の前に年月を重ねた信仰者が教会において果たされた貢献を覚えては、その生涯を通じて一人ひとりを養ってくださった主なる神を称える礼拝です。ですからこの説教は前半部分において聖書に示される長寿の意味を考え、後半において朗読箇所であるマタイによる福音書を中心に「天に属する者たち」と題して読み解いてまいりましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書13章24-43節「忍耐して待ち望む」

 2025年9月7日 牧師 武石晃正  9月に入り残暑の厳しさを覚えつつも、田んぼの稲が色づいて首を垂れつつある様に秋の訪れを感じる日々です。その一方で日の入りはつるべ落とし、気が付けばあたりはとっぷりと暗くなっております。  収穫の時期が迫っていること、そしてだれも働くことのできない夜が来ることを聖書は私たちに示しています(ヨハネ9:4)。先週の主日礼拝後には終活研修会が行われましたが、私たちは自分の人生の終わりばかりでなく世の終わりへの備えをしているでしょうか。  本日はマタイによる福音書を開き、「忍耐して待ち望む」と題して主の再臨への待望と裁きへの備えをいたしましょう。 PDF版はこちら