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使徒言行録2章1−11節「聖霊の賜物」

 2020年5月31日 宇都宮上町教会主日礼拝  ペンテコステおめでとうございます。  あまり聞き慣れないお祝いの挨拶かもしれません。教会暦では本日(2020年5月31日)は聖霊降臨日、ペンテコステと呼ばれる日です。  神のひとり子が私たち罪人のために「聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ」てくださいました。私たちはこのナザレ人イエスを、イエス・キリストあるいは主イエス様と読んでいます。主は十字架につけられ、「全きいけにえ」となって私たち罪人の身代わりとなられました。しかしそれは死に終わるものではなく、葬られ、3日目に復活し、栄光を受けるために天に昇られました。  主が天に昇られたのは愛する弟子たちをお見捨てになられたわけではありません。十字架につけられる前も復活した後にも都度都度お教えになられたように、ご自身が受けられていた聖霊を弟子たちにお授けになるためでした。お約束のとおりに主が聖霊を賜ったことを感謝して、聖霊降臨日すなわちペンテコステとしてお喜び申し上げます。  そして本日は、初めに弟子たちへ主から聖霊が降った日の記事を読みました。 PDFはこちら

ヨハネによる福音書7章32-39節「天に帰られた主」

 2020年5月24日  宇都宮上町教会主日礼拝 イエス・キリストはゴルゴタの丘の上で十字架刑に処せられて、息を引き取られて葬られ、3日目の早朝に復活されました。全知全能の唯一なる神が、聖霊によって人間の女性に宿り、人としてお生まれになられました。その方が「全きいけにえ」として歴史上たった1回の罪の贖いとなられました。そしてこの方が復活されたのです。  復活し、朽ちないからだを取られたとはいえ、全世界の人がみなイエス様に地上でお会いすることは到底不可能です。永遠のいのちをお持ちだとしても、どんなにすばらしい奇跡をなさろうとも、神の子おひとりだけでは全世界に天の御国の業をお示しになることは叶いません。というのも地理的時間的な問題ばかりでなく、ユダヤ人のしきたりなども妨げとなりうるからです。  しかし困難や迫害に遭おうとも、天の御国の業は全世界へと広がりました。その力の源はどこにあるのでしょうか。 PDFはこちら

ヨハネによる福音書16章25−33節「キリストの勝利」

 2020年5月17日  宇都宮上町教会主日礼拝  イエス・キリストが私たち罪人を救うために十字架にかかり、ご自身を完全ないけにえとして父なる神様へとささげられました。死んで葬られ、その3日目に復活された主イエス様は愛する弟子たちに現れて、人々の罪を赦す権威を聖霊とともにお授けになりました。   人間にはできない神の業、聖霊による赦しの業を行う時、この世は御子キリストもその弟子たちをも迫害します。たとえ迫害に遭うとしても、赦しの恵みは御父から遣わされた御子キリストの業なのです。そしてそれは聖霊によって弟子たちへと与えられました。   キリストの弟子が受けるものは果たしてこの世からの迫害や苦難だけなのでしょうか。今日は「世に属していない」者が受ける約束について読んでまいります。 PDFはこちら

ヨハネによる福音書15章18−27節「御霊の実」

 2020年5月10日  宇都宮上町教会主日礼拝  イエス・キリストが父なる神の前で私たち罪人を救うために身代わりの死を遂げられたのがゴルゴタの十字架の出来事でした。葬られ、その3日目に復活された主イエス様は墓所で女たちにお姿を現されました。その後、一度は我が身かわいさに逃げ出した弟子たちのもとを訪れ、「聖霊を受けなさい」(20:22)とおっしゃいました。そうして主は弟子たちに人々の罪を赦す権威をお授けになりました。    使徒信条を通して告白しておりますように「主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ」ました。主は成人され幾年か経て、神の民イスラエルへ神の国を宣教するにあたって洗礼者ヨハネよりバプテスマを受けましたが、その時に天が開いて聖霊が降りました。そこで「これはわたしの愛する子」という声が天から聞こえました(マタイ3:17)。聖霊によって神の子が人として生まれ、聖霊によって神の子であることが確証されます。   今日はこの聖霊、私たちは神の霊であるこの方を御霊(みたま)と呼びますが、この御霊を受けたものの歩みとそこから生じる実について考えてみましょう。 PDFはこちら

ヨハネによる福音書21章15−25節「わたしの羊を飼いなさい」

 2020年5月3日 宇都宮上町教会主日礼拝  唐突ですが、みなさんは羊という動物を飼ったことはありますか?あるいは近所で飼っていたとか、牧場で放牧しているのを実際に見たことがあるとか、身近なところで羊に触れたことはあるでしょうか。    イエス様がおられた時代のガリラヤ湖のほとりでは、もしかすると羊飼いが羊を放牧していたのかもしれません。残念ながら現代の日本では当時のイスラエルほどには身近なところで羊を見ることは稀だと言えましょう。   東北地方に住んでいた頃に、私は何度か岩手県のとある牧場を見学させていただいたことがあります。美味しい牛乳やバターでよく知られている牧場ですが、羊の放牧もしていました。牧羊犬が睨みを利かせて上手に羊を小屋へと導く様子がとても印象的でした。   その時に聞いた話なのですが、羊という動物は見かけによらずとても頑固な性格をしているそうです。視力もそれほどよくないので近くしか見ておらず、自分が思った方向に進んでいくので道に迷いやすいのだとか。飼い主より自分のほうが主人であるように思っているようだとも聞きました。なかなか言うことを聞かない頑固者との説明に、まるで自分のことを見透かされたような気恥ずかしさを覚えたものです。   今日は十字架で死なれたイエス・キリストが、復活の後に弟子たちに現われたお話の続きをいたします。「わたしの羊を飼いなさい」と、12弟子のひとりシモン・ペトロがイエス様より直々に働きをまかされたときの出来事です。  PDFはこちら