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マタイによる福音書12章43-50節「御国を受け継ぐ」

 2025年8月31日 牧師 武石晃正  先週は地域の学校では夏休みが終わり、子どもたちにも先生方にも充実した毎日が戻ったようです。本日は8月も最後の日を迎え、早いもので今年も残すところ4か月です。  日中はまだ日差しが強くて「暑い、暑い」と汗だくになる日もありますが、主を待ち望むアドヴェント(待降節)までたったの3か月というところです。長いと思っていた夏休みにも必ず終わりの日と宿題の提出日があるように、一年もあっという間に過ぎていきます。  人生というものも年数にすれば長い方もあれば短い方もおられますが、若かろうと歳をとろうと「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)ものです。時や時期は定かでなくとも必ずやってくる日があるのですから、本日はマタイによる福音書を開いて「御国を受け継ぐ」と題して備えといたしましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書10章16-23節「蛇のように賢く、鳩のように素直に」

 2025年8月24日 牧師 武石晃正  先週火曜日(8/19)には日野町黒坂の地において、残暑厳しいなか日野教会礼拝がささげられました。米子教会と日野教会との結びつきは古く、特に兼務牧会については一時期を除いて1970年代より50年来の歩みであります。  日野教会は今年度より毎月第3火曜日と定めて聖餐式を行っています。米子教会の祈りと協力のもとに、教会の命そのものである説教と聖礼典が守られるようなりました。  引き渡される夜すなわち主は迫害と苦しみと死が目の前まで迫っている中で、使徒たちを食卓に招きパンと杯とを分け与えられました。私たちは主の日が近いと知れば知るほど熱心に福音を宣べ伝え、キリストの十字架の死と復活を告げ知らせる聖餐を行うのです。  困難や苦しみの中に置かれてもなお主イエス・キリストについていくために、本日はマタイによる福音書を開き「蛇のように賢く、鳩のように素直に」と題して主の命令と約束を受けましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書10章1-15節「わたしはあなたがたを遣わす」

 2025年8月17日 牧師 武石晃正   先週金曜日は8月15日、今年の終戦の日は戦後80周年を数えました。改めてこの国の歴史を覚えるにおいて、「日本基督教団罪責告白」では日本基督教団が天皇を神とする国家体制を容認し、植民地支配に協力する罪を犯し、戦争に協力したことを懺悔告白しています。  その傍らで治安維持法のもとにホーリネス信仰を掲げる群は特に弾圧を受け、多くの牧師が投獄され、獄死者も出ました。国内外での迫害を覚えつつも、私たちの国と教会が近隣諸国の主にある家族を深く傷つけたという事実を、終戦の日に悔いるところです。  罪を認め、主なる神の前に赦しを乞い、平和を祈り求めることは世に遣わされた御国の子らの務めであります。本日はマタイによる福音書を開き、「わたしはあなたがたを遣わす」と題して御国の福音を心に刻みましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書9章9-13節「キリストと結ばれる人」

 2025年8月10日    先週(8/3)は主日礼拝の後にCSお楽しみ会として教会学校が子どもたちのために楽しい催しをしてくださいました。大勢が集まって食事をすることができるのも大きな恵みです。  食は生活の基本であり、どのようなものを誰と食べているかがその人を形作るとも言われます。キリストの弟子たちは信仰の上でパンを割くために集まっておりましたし、教会が主の晩餐を個人的には行わず公の礼拝として執行することにも意味があります。  聖餐において「キリストの体の肢(えだ)として」仕えることを祈りの内に誓います。本日はマタイによる福音書より「キリストと結ばれる人」と題して救いの恵みを味わい知りましょう。 PDF版はこちら

マタイによる福音書8章5-13節「憐みの器として」

2025年8月3日 牧師 武石晃正  8月を迎えました。隣の小学校は夏休み真っ盛り、普段とは違って朝から校庭の元気な声が聞こえてきます。  思えば5年前、2020年は私が住んでいた地域では子どもたちの歓声をほとんど聞くことができない年でありました。恐らく米子市を含めて全国的に同様でありましょう。  世の中では大きな不安や困難に際して「苦しい時の神頼み」と申しますが、キリスト者は病や苦しみの時だけでなく日々の歩みにおいていつも主なる神の憐みにすがって歩みます。本日はマタイによる福音書を開き「憐みの器として」と題し、癒し主キリストと御言葉の権威について思いを深めてまいりましょう。 PDF版はこちら