マタイによる福音書13章24-43節「忍耐して待ち望む」
2025年9月7日
牧師 武石晃正
9月に入り残暑の厳しさを覚えつつも、田んぼの稲が色づいて首を垂れつつある様に秋の訪れを感じる日々です。その一方で日の入りはつるべ落とし、気が付けばあたりはとっぷりと暗くなっております。
収穫の時期が迫っていること、そしてだれも働くことのできない夜が来ることを聖書は私たちに示しています(ヨハネ9:4)。先週の主日礼拝後には終活研修会が行われましたが、私たちは自分の人生の終わりばかりでなく世の終わりへの備えをしているでしょうか。
本日はマタイによる福音書を開き、「忍耐して待ち望む」と題して主の再臨への待望と裁きへの備えをいたしましょう。
1.「終わりの日」への備え
先週の終活研修会に出られなかった方々もおられますので、本日の前半では出席した方の復習を兼ねて研修会の内容から取り上げましょう。なぜ「終わりの日」に備えなければならないのか、あるいはどのように備えればよいのかを普段から考えていますか。
各々が自分の死と葬りについては様々な考えや思いを抱いておられるでしょう。しかしキリストに従う者であるからには、聖書の言葉により確信を明らかにする必要があります。
「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)のです。裁きへの備えもなく人生を終えた者の結末がどのようなものかは明らかです。
神の前に立つ者としてふさわしい葬りの指示を残された人々へすることは旧約における神の民にも見られます(参照、創世49-50章)。キリストがご自分の命で代価を払って私たちを買い取られたのですから、私たちは生涯が死と葬りに至まるまで神の所有とされていることを世に対して証しするのです。
中には「キリストを信じて救われているのだから、死んだら魂は天国に行くことは決まっている。だから死んだ後の葬儀や埋葬は未信者であろうと家族に任せて構わない」と考える人もいるでしょう。あなたの信仰を尊重してキリスト教で葬儀や埋葬を行っていただければよいのですが、うやむやのまま異教のもとに置かれたならば残された人々があなたの生涯からイエス・キリストの救いを知ることは極めて困難なものとなるでしょう。
また「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(マタイ10:37)と主は言われました。葬儀や埋葬という「行い」だけではその人の信仰や救いを知ることはできませんが、「行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか」(ヤコブ2:20)と主の兄弟ヤコブが書簡に述べていることも事実です。
ホーリネスの信仰に立って考えるために四重の福音に照らすならば、ホーリネスとは新生によって始まる聖化の歩みであります。ただしホーリネスは聖化だけを指すのではなく、肉体的ホーリネスとして神癒があり、そして再臨における栄化において完成されるのです。
すなわち生涯を通じた「四重の福音」全体をもってホーリネスの信仰であり、死と葬りという一般的な終活にとどまらず葬りの後も再臨まで一貫した信仰であると言えます。再臨における栄化という完成を目指すホーリネスの教会だからこそ、信仰者の死と葬りにおいても主から受けた救いを全うするように努めるのです(フィリピ2:12)。
自分が死その他の原因により意思表示ができなくなることに備えて文書にまとめておくことも有益です。いずれにしても死と葬りまでも私たちがキリストの前に最善を尽くすのは、自分自身が失格者になるようなことのないためです(コリント一9:27)。
使徒パウロは「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」(ローマ6:8)と信仰を明らかにしています。キリストの再臨を待望するホーリネスの信仰に照らしても、葬儀と埋葬は「キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられた」(コロサイ2:12)ことの証しです。
2.天の国の忍耐
死というものについて使徒パウロは滅びとしてではなく「神の子とされること、つまり、体の贖われること」(ローマ8:23)という希望を示しています。イエス・キリストを信じる者たちは主の十字架の血によって罪が赦されたばかりでなく、体までもが贖われるという希望があるのです。
朗読の箇所であるマタイによる福音書13章では、主イエスが「天の国は次のようにたとえられる」(13:24)と種を蒔く人のたとえを語り始めます。これは「畑に良い種を蒔いた人」のたとえでありますから、単に「毒麦のたとえ」とだけ呼ぶのは惜しいことです。
たとえを用いて語られた主イエスの教えは、もっぱら「天の国は次のようにたとえられる」と父なる神と子なる神キリストのご性質を示されます。このたとえもまた「天の国」の忍耐について教えておられます。
ある人が自分の畑に良い種を蒔きました。良い種とは御国の子らでありますから(38)、そこからは本来であれば良い麦が生じるはずです。
ところが人々が眠っている間に、敵がやって来て、麦の中に毒麦を蒔いて去って行きました(25)。毒麦とは悪い者を指しており、すなわち神に背く者の子たちです。
僕(しもべ)たちは毒麦が麦と一緒に育っているのを見て主人へ報告し、「敵の仕業だ」と聞くや「行って抜き集めておきましょうか」と申し出ました(25-26)。私たちは世の中にはびこる不正や不義を見聞きしたときに「なぜ神は悪を放置されるのか」「すぐにでも裁きを行ってほしい」と願う気持ちが湧くことがありますが、その気持ちをも主は知っておられます。
しかし、主人は「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない」(29)と僕たちを引き止めました。この主人にとっては毒麦を抜き去ることよりも、麦すなわち正しい人々を損なうことの方がはるかに耐え難いことであるからです。
主は悪を見逃すことはなさいませんが、その中にいる正しい者たちまでもが傷つくことを望まれないのです(創世記18:32参照)。そして教会を迫害しては「主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」(使徒9:1)いた者でさえ、主はその名を呼んで導かれ「異邦人のための使徒」(ローマ11:13)として用いられたこともありました。
種を蒔くたとえに続いて主イエスは「からし種」と「パン種」のたとえを話されました(31—33)。蒔かれた時には極めて小さく混ぜ込まれた分量はほんのわずかであっても、時が来れば成長しあるいは粉全体を大きく膨らませるのが天の国であるというのです。
ちっぽけな種であり、粉に混ぜ込んでしまうと見分けがつかなくなるパン種です。しかし時を経たのちに天の国は必ずその力を発揮し、御国の子らは明らかにされるのです。
さて福音書は詩編から引用し「天地創造の時から隠されていたことを告げる」(35、詩編78:2)と主イエスが群衆にたとえを用いて語られたことを明かしています(34)。面白おかしい気の利いた話は世の大勢の者たちに聞かせることをなさいましたが、「たとえを説明してください」(36)と求めた弟子たちにだけ主は真理を解き明かされたのです。
「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」(30)と僕たちに命じた主人でしたが、刈り入れの時が来れば毒麦は束にされて焼かれてしまいます。主イエスは「刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである」(39)とはっきり語られました。
その一方で主なる神はご自分が創造された世界に悪がはびこり、愛する教会が傷つけられるのを見て、どれほどの痛みを覚えていることでしょうか。それでもなお私たち一人ひとりが悔い改めて救われるために、「麦まで一緒に抜くかもしれない」(29)と忍耐し続けてくださっているのです。
主の忍耐について「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」(ローマ12:19)との御言葉に言い表されています。世の終わりにすべての悪が神の怒りによって滅ぼされることは、「彼らの災いの日は近い。彼らの終わりは速やかに来る」(申命32:35)と旧約の時代から主が忍耐と慰めをもって教えておられたことであります。
終わりの日に「人の子」すなわちキリストが「天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませる」(41-42)のです。その日まで信仰を保ち、忍耐して待ち望んだ「正しい人々」には「その父の国で太陽のように輝く」(43)と栄光を受けることが約束されています。
「耳のある者は聞きなさい」(43)と主は弟子たちに、そして聖書の御言葉を聞くすべての者に念を押して説かれます。「畑の毒麦のたとえを説明してください」(36)と解き明かしを求めた弟子たちのように、私たちもまた良い種である御国の子らとして主の再臨を忍耐して待ち望みます。
<結び>
「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8:25)
主イエスが語られた「毒麦のたとえ」は、この世に悪がはびこる中で神が忍耐深く見守っておられることを教えます。僕たちが毒麦を抜き集めようとしたのに対し、主人は「麦まで一緒に抜くかもしれない」と御国の子らへの忍耐と慰めを示しました。
悪は必ず裁かれますが、正しい人々を損なわないことを主なる神は深い愛と忍耐をもって望まれます。最終的な裁きは神のものであり、私たちは誰が麦で誰が毒麦かを見分けることはできないのです。
キリストは私たちが真に悔い改めて救われることを願い、忍耐し続けてくださいます。私たちは主の忍耐と慰めのうちにきよめと癒しをいただきつつ、再臨と栄化の恵みを忍耐して待ち望むのです。
「そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:43)